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番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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教育“管理”委員会



福岡県久留米市の教育委員会は、
卒業式&入学式で子どもたちが歌う「君が代」の声量を調査していたという、
信じがたい愚弄な衆。

今回は、市立の小・中・養護学校の卒業式&入学式に関し、
下記のような「事務連絡」を各学校長あてに送っていた。

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・ 久留米市教育委員会が出した文書の主な内容(朝日新聞より)

1.国旗掲揚及び国歌斉唱は、学習指導要領に基づき適切に行ってください。

2.市長及び議長の祝辞は、式の中で必ず読み上げて紹介してください。

3.来賓として出席されている方々、特に市議の皆さんは、ぜひ紹介してください。

4.席順は下記のようにお願いします。
    (市議会議長)、教育委員会、PTA会長、市議の順。

項目4の席順は、市議の中での席順も当選の期別順、年齢順と細かく定めている。
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市長と議長の祝辞は必ず読み上げ、来賓の市議は必ず紹介しろという、この指示書のなんと低次元なこと。

この低次元さに、同市教育委員会の担当者が追い打ちをかける。

--子供の節目めの行事で、お祝いの言葉を知らせることは大切。

--市議は市民の代表で忙しい中を来て頂いており、紹介するのが礼儀。

--学校によってまちまちにならないほうがよいので、念のため文書を出した。

久留米市教育委員会学校教育担当次長のお言葉である。

こんな思考しかできない人間が教育委員会の要職に着いているとは。
久留米市では、さぞかし立派な子どもが育っていることだろう。

しかし、久留米市は、ぼくの生まれ故郷だ。
こんなアホなヤカラが子どもたちの教育を指導しているのかと思うと泣けてくる。

まず、卒業式&入学式とは誰のために行われるのか、その視点が完全に間違っている。
主役は子どもであり、それを見守るのが両親であり、それ以外はサポート役、脇役だ。

市長や市議がこうした式に列席するのは、子どもたちのためではない。
自分たちのためである。
見方によっては、政治行為とさえ言える。
教育の現場で政治行為を行ってはいけないはずであり、列席すること自体が本来はおかしなことだ。

「出席はご遠慮願います」

そう言うのが、教育委員会の本来の役目のはずである。

それでも、市議を「紹介するのが礼儀」と思うのは、
教育委員会が出席を依頼したからではないのか?
子どもたちはそんな人間たちに列席して欲しいと思ってはいない。
「来賓」というのは、教育委員会にとっての「来賓」なのだ。
ならば、出席した市議の名前は、子どもたちや両親たちにではなく、
自分たち教育委員会の人間たちだけに知らせればいいことだ。

担当者は、子どもたちにお祝いの言葉を知らせることが大切だという。
市長や議長の、つまらない、あくびをかみ殺すために必死とならねばならない、
あの“お言葉”は、本当に“お祝いの言葉”なのか?
あの“お言葉”を、自らの旅立ちや進歩を祝ってくれる言葉として
のちのち思い出す子どもがいるだろうか?

あれは、子どもたちを祝したものではない。
式典の、単なる儀礼に過ぎない。
あってもなくても、子どもたちにとっては関係ないものだ。

自分の人生の節目として、子どもの心に残ること。
卒業式や入学式は、それだけが唯一の目的だ。
誰が列席しようが、お偉いさんのお言葉があろうが、
子どもたちの思い出とならなければ、開催されるその意味はない。


この教育委員会は、卒業式&入学式の持つ意味を全く理解していない。
「教育“管理”委員会」とネーミングを変えたらいかが?



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